外国為替
専門用語集

ATM

ATM(アットザマネー)は、市場レートが行使価格と同じ100円の時の状態をいいます。ドルコール円プット、行使価格100円のオプションで、市場レートが1$=100円であれば、ATM(アットザマネー)となります。 外国為替証拠金取引は総選挙の惨敗には少しもひるまない。彼は腰を据えて50ページに余るアイルランド問題のパンフレットを書く。提案を少しでも引っ込めるとか、貫徹の決心を鈍らすことがない。かと思うとアクトン卿の客としてデゲルンゼーに滞在し老友デリンガー博士とともにバヴァリヤの連山を登攀し、帰国するやテニスンが最近公にしたロックスレー・ホールの第二部について早速一論文を草し、人間の性善と進歩に対し非常な楽観と確信を示してテニスンの悲観論に対抗する。さらに今度は神学に向かいハンフリー・ウォード夫人のロバート・エルズミヤを評論し信仰の擁護をして、その副産物としてこの本に大もうけをさせる。しかもその結果、アクトン卿と初期キリスト教における師父たちの信用状について長い通信を交わす必要に迫られる。グラッドストン氏はこういった人である。しかもこの間絶えずアイルランド史を読んでは、合併令の不公平なこと、その前後におけるイギリス政治家の失策について憤慨の度を増す というのが、歴史家J・A・スペンダーに描写されたこの頃のグラッドストンである。 資産運用への関与は、正義感によるものと考えてもよいかも知れないが、アイルランド独立の闘士パーネルと仲違いをしたため、グラッドストンの掲げる自治法案の大義名分もアイルランドにとっては疑わしくなってしまった。1892年から1894年の第4次内閣の時に提出したアイルランド自治法案は、上院で否決された。選挙法改正により大衆をイギリス民主主義に動員することに成功したが、その大衆を制御することは彼の雄弁をしてもますます困難な事業になりつつあった。「彼の生涯を俯瞰する多くの人々は、古い世界の最良の規準を全く失うことなく、近代民主主義の諸条件にイギリス国家の機構と政治家の慣行を適合させるのに、グラッドストンが他の誰よりも多くの貢献をしたと結論するだろう」というのは、イギリスの歴史家トレヴェリアンの評価であった。 19世紀イギリスの典型的な議会政治家で、明治期日本の政党政治家には、自由主義の理想を追求する政治家として人気があった。 投資信託は公平な地代と小作権の保証をアイルランド農民に与えたものだった。このグラッドストン内閣は1881年からの南アフリカでの抗争激化(マジュバの悲劇)、1885年におけるエジプト守備隊のスーダンからの撤退失敗(ゴードンの戦死)などに責任があるとされる。それまでGOM(Grand Old Man=偉大なる老人)として国民に親しまれていたグラッドストンが、一転してMOG(Murderer of Gordon=ゴードンの殺害者)として責められることになった。 1886年の第3次内閣の時に、グラッドストンはさらなるアイルランド自治への要求に応えるため自由党を導いて、新教徒が住む北アイルランドのアルスターを新しいアイルランドの一部にするという、アイルランド国民党の党首パーネルの要求を受け容れたためにイギリスの選挙民を動揺させた。このアイルランド自治問題で内閣は崩壊し、自由党も分裂することとなる。 大日本帝国憲法では、天皇は統治権の総攬者とされていたのに対し、日本国憲法では日本国・日本国民統合の象徴とされ、かつ国民主権原理を採用したため、日本国憲法の制定により日本の国体が変わったか否かについて起きた論争。特に尾高・宮沢論争と佐々木・和辻論争が有名。 自民党憲法改正試案、民主党鳩山氏憲法改正試案、民主党小沢氏憲法改正試案、6省庁を主務官庁とする中曽根元総理属する財団法人世界平和研究所憲法改正試案が、国家元首を天皇と規定している。衆議院憲法調査会や参議院憲法調査会では、天皇の地位に関して現在も議論中であり、結論は出ていない。読売新聞憲法改正試案では天皇に関する規定は現状維持としている。 登場した12系改造の5両編成。スハフ12 702、オハフ13 701、オハ12 701〜703で組成されている。広島支社が保有、山口鉄道部に所属。 山口線で運転される「SLやまぐち号」専用の客車。各車両とも内装が異なる。SL列車のほか団体列車や臨時列車としても使用されたことがある。 アイランドエクスプレス四国II「アイランドエクスプレス四国II」 1999年8月に登場したキハ185系気動車キロハ186改造の2両。キロ186-4・8 で構成されている。2両とも中間車で運転台・トイレが無いので、キハ185形2両(主に-11・12)が牽引にあたる。 老朽化により廃車となった50系客車改造の「アイランドエクスプレス四国」の後継車。列車定員は60名。車内は先代からの発生品の360度回転リクライニングシートが1+2配列で1280mmのシートピッチがあり、AV機器なども設置。 団体専用列車で運行されている。土讃線の高知駅〜土佐山田駅間をC56形蒸気機関車牽引による臨時列車として運行されたこともあった。その際はマイテ49形とも併結をした。 客車 名称なし 好評だったためにジョイフル車両第2弾として1988年5月、波動輸送用として高松運転所に配置されていた12系のうち、スハフ12形2両(3・6)、オハ12形4両(5・6・9・10)の計6両をグリーン車に改造した。オロ12 6・9は車内がカーペット敷きとなり、他の4両は座席がシートピッチ1400mm、2+1列配置、読書灯・足置き付きのリクライニングシートに取り替えられた。番号は「ハ」を「ロ」に変更したのみである。 改造後は高松−大歩危間の臨時列車「秘境・大歩危」号や団体列車として使用されたが、「ムーンライト高知」に転用するために6両とも高知運転所に転属し、現在は主に臨時快速「ムーンライト高知」・「ムーンライト松山」に使用されている。 旧型客車改造による「和式客車」が存在した。 1960年、盛岡鉄道管理局でスハシ29形を改造して登場したスハ88形が国鉄和式客車の嚆矢である。好評を博し、翌1961年にはオハ61形を改造したオハフ80形0番台が増備された。この2両は主に定期列車に増結されて運用されたが、1969年には名古屋鉄道管理局に6両編成の和式客車オハ80・オハフ80形2000番台がオハ35形・オハフ33形を改造して誕生した。1970年には長野鉄道管理局に6両編成1本が増備された。1972年にはスロ81系の登場によりグリーン車に形式変更が行われたが、車両構造上振動が激しく、冷房取付も不可能であったことからこれら形式は1974年から1975年にかけて全車廃車された。 一方、1972年には金沢鉄道管理局にスロ62・スロフ62形を改造種車とした初の冷房付和式客車スロ81・スロフ81形6両編成が登場した。以後1980年までに7編成42両が登場し、金沢・静岡・門司・長野・名古屋・大阪・東京南の各鉄道管理局に1編成が配備された。これらは大多数が国鉄分割民営化までに、12系または14系客車改造車に置換えられて廃車となった。最後まで残った東京南鉄道管理局所属のスロ81-2125〜2128・スロフ81-2113・2114編成(いわゆる「シナ座」)は、「江戸」の投入により1986年に水戸鉄道管理局→JR東日本水戸支社に転属。「ふれあい」と名を変えて、晩年は茶色に白帯に塗装変更されて活躍するも老朽化著しく、1990年に廃車となってスロ81系客車は形式消滅した。 これらのほか、形式称号の変更を伴わずに和式に改造されたものとして、金沢鉄道管理局で改造されたオハフ61-436(1970年改造、半室和式)とスロフ53-2025(1971年改造、全室和式)がある。これらの車両は、七尾線・能登線で1970〜1973年に蒸気機関車牽引で運行された臨時急行「ふるさと列車おくのと」に使用された。これらの車両にはカウンターと簡単な供食設備がついており、郷土料理などが提供されていた。