BIS
国際決済銀行。本部はスイスのバーゼル。第一次世界大戦後のドイツの賠償問題を処理するために1930年に設立。現在では各国の中央銀行が国際金融問題を協議する場になっている。中央銀行からの預金の受け入れや外国為替市場などの調査統計資料の作成も行なっている。
視力回復や幼稚園、補習授業校、全日制の私立小学校、日本の予備校の海外分校など様々な形態で世界じゅうに数多くある。日本人の子どもを対象にしたものがあれば、日本語を学ぶ外国籍の子どもが大多数を占めるところもある。文科省が認定するのは日本人学校や補習授業校の小学部・中学部のみであるため、これらの学校の幼稚園、補習授業校の高等部も法律上では「その他の在外教育施設」に含まれる。
この種の学校の中には、文科省認可の日本人学校や補習授業校と比べても遜色ない充実した教育内容の学校、地元では私立進学校として認定されている優良学校がある一方、設備やカリキュラムが不十分、教員や生徒不足、教育よりも営利事業が優先されている施設などもある。
美容整形以来数々の曲をヒットさせ、1990年代の日本ロックシーンを牽引してきた。
代表作に、『HOWEVER』『BE WITH YOU』『誘惑』『SOUL LOVE』『Winter,again』『とまどい/SPECIAL THANKS』の6本のミリオンセラー作品をもつ(歴代3位。1位はB'zの15作、2位はMr.Childrenの10作)。
レーシック、『Yes, Summerdays』が注目を受け、1996年に『グロリアス』がヒット。その後2ndアルバム『BEAT out!』がオリコン初登場1位を獲得。以降、『BELOVED』『口唇』『HOWEVER』などがヒット。1997年にベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』をリリースし、当時の歴代アルバムセールスを更新して歴代1位(約500万枚)となった。このベストアルバムが1998年-1999年のベストアルバムブームのきっかけとなった。
エステサロンも、1998年に同時リリースされた『誘惑』『SOUL LOVE』などヒット曲を連発。『サバイバル』が歴代ビデオシングル1位を記録。1999年3月には東京ドームで5日間ライブを敢行。同年7月31日、千葉の幕張メッセ屋外有料駐車場で『MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO'99 SURVIVAL』を行う。これは国内単独ライブとしては最高の観客動員数であり、有料ライブとしては世界記録である。(約20万人)。12月には『Winter,again』で日本レコード大賞を受賞(後に、レコード大賞受賞を巡りメンバーで解散をしようとしていたことが明らかになった)。 また、同じEXTASY RECORDSからCDをリリースしたLUNA SEAと1999年12月に東京ドームで対バンを行っている。 この1998-2000年はビジュアル系ロックバンド全盛期と呼ばれ、当時の音楽界を牽引していった。GLAYは自らヴィジュアル系を名乗るなど肯定的な姿勢を示していた(現在のGLAYについてはヴィジュアル系ではないとする見方が強い)。
日中国交正常化30周年を記念して、中国・北京にて『GLAY ONE LOVE in 北京』を開催。中国最高指導者江沢民への表敬訪問を実現した。
2004年7月31日に大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンにて、GLAYデビュー10周年を記念し10万人の観客を集めた『GLAY EXPO 2004 in UNIVERSAL STUDIOS JAPAN “THE FRUSTRATED”』を敢行。
2005年、ミュージックビデオの祭典「SPACE SHOWER MUSIC VIDEO AWARDS 05」にて特別賞を受賞。同年7月20日GLAY×EXILE名義で『SCREAM』を発売。
2006年、7月12日の『G4』発売を区切りに活動を再開。8月5日6日に『KYOSUKE HIMURO+GLAY 2006 at AJINOMOTO-STADIUM "SWING ADDICTION"』を、味の素スタジアムにて氷室京介と開催。 上記ライブに先立ち、8月2日に氷室京介とのコラボレート・シングル『ANSWER』を発売。
GLAY VERB TOUR 2008 in U.Sと題し、GLAY初となるアメリカでの3公演を開催した。 9月9日には39枚目のシングル『紅と黒のMATADORA/I LOVE YOUをさがしてる』を発売した。
『彼女の“Modern…”』以後から現在までプロデュース。ストリングスアレンジやプログラミング、自らギターやピアノも演奏する。また、サポートメンバーとしてライブにも出演しキーボード(稀にギターも)を演奏する。GLAY EXPOには過去3回とも出演している。また自身がプロデュースを手がけたバンドによるフェス「SAKUMA SUMMIT」も過去2回開催(GLAYは2回とも出演)。ちなみに「SAKUMA SUMMIT」の発案者はTAKURO。
YOSHIKI
メジャーデビュー曲「RAIN」をプロデュース。同曲のピアノを演奏。GLAYの可能性を見抜いたHIDEのアドバイスもあり、自レーベルよりデビューさせた。
土屋昌巳
『真夏の扉』をプロデュース。2001年のGLAY EXPO 2001九州公演にはD.E.P.のメンバーとして同じステージに立ち、最後の曲「I'm In Love」にコーラスで参加。なお、セックス・ピストルズで音楽に開眼した土屋は、ロックバンドに「やんちゃ」な部分を求める傾向がある。そのような土屋は、「真夏の扉」レコーディング時に、真面目で礼儀正しく、部分が皆無なメンバーの態度に「手に負えない部分が無いとは、僕の手に負えない。」と以降のプロデュースを断念したと言うエピソードがある。土屋以降のプロデュースを行っている佐久間正英の作風と、土屋昌巳の作風を比較すると、この話はある程度検証できる。
Toshi nagai(永井利光)
SPEED POPツアーより現在に至るまで、レコーディング・ライブにおいてドラムスを担当。 手品の腕前はかなりのもの。
GLAYファンからはサポートメンバーというよりGLAYのメンバーのように扱われることが多い。
D.I.E.
レコーディング・ライブのキーボードを担当していたが、『pure soul in STADIUM』をもってサポートメンバーから脱退。
小森茂生 (SHIGEO "sk55" KOMORI)
D.I.E脱退以後のキーボードを担当しているが現在はライブへの参加は少ない。最近ではTV出演の際などにサポートを行っている。
斎藤有太
『GLAY DOME TOUR 2005 “WHITE ROAD”』でキーボードを担当。
永井誠一郎
『GLAY TOUR 2006 ROCK'N'ROLL SWINDLE?Re-birth?』以降のライブでキーボードを担当。「鼓動」のストリングアレンジも行う。
島健
ストリングスアレンジの他。『HIGHCOMMUNICATION TOUR』オープニングテーマを手がける。2003年の『X-RATED TOUR』ベイNKホール公演では、指揮者としてストリングスを引き連れて出演。『THE FRUSTRATED』のDVDには、「BEAUTIFUL DREAMER」のメイキングの模様も収録。
溝口肇
「時の雫」のストリングアレンジを手がける。指揮者として『GLAY DOME TOUR 2005 “WHITE ROAD”』ではストリングスを引き連れて出演。TERUは「イケメン・アレンジャー」と紹介した。
草間敬
2000年の「Surf Rider」(シングル『Missing You』収録)以降、主にHISASHI作による楽曲のコンピューター・マニピュレートを手がける。TAKURO作曲の「嫉妬」(2001年、アルバム『ONE LOVE』収録)でもマニピュレーターを務めており、「KURID PHANTOM mix」として、彼の所属している「KURID INTERNATIONAL」の名前が冠されている。2004年発表のアルバム『THE FRUSTRATED』のメイキングを収めたDVD『The Complete of THE FRUSTRATED-RECOEDING DOCUMENT&LIVE』では、HISASHIと共に「coyote,colored darkness」の解説を行っている。
1988年函館で結成される。TERUとTAKUROはこのときから在籍(TERUは結成当時はドラムス)。後にHISASHIが加入。
1990年3月に高校時代最後のライブを行う。このときに結成時からいたベースとドラムスが卒業。この時期から、元JUDY AND MARYのYUKI(函館出身)とJIROは知り合い。高校時代から顔見知りであったことを火曜2部深夜3時のYUKIのオールナイトニッポンでYUKIが述べた。また、TAKUROの著書『胸懐』ではTAKUROらも当時から別にバンドをやっていたYUKIとは顔見知りで、彼女の通っている高校でGLAYが人気である事を聞き、夜中にライブのポスターを貼りに行ったが実は貼った次の日からは夏休みだったというエピソードが語られている。